憧れ、ではないけれど少しそれに似ている。
たしかに胸に巣くう、この感情の正体はなんだ?
間違いなく言えるのは、彼と自分 は全く異なる世界に住む人間であるということ。
あの人が陽なら おれは陰だから。
「…」
朝からずっと気のせいだと思 いこんでいたが、どうやらそうじゃなかったらしい。
寒空の下、ラケットを振る手をとめると、微かに震える感覚。
眉根を 寄せ、溜め息を吐けば白くなった息はすぐに消えた。
振り返ってあたりをぐるり見渡しても、今日は自主練の日なので
それぞれが思い思いに練習をしている。誰もおれを気にしてはいない。
ふいに上を向けば、真冬らしい淀んだグレーの低い雲が広がる。
テンションは下がる一方。
「(これやから、冬は嫌いや)」
内心舌打ちしてまた俯く。
下にある自分のスニーカーが少し歪んで 見えて初めて、生理的な涙が浮かんでいるのに気付いた。
たいしたことないと言い聞かせたかったけど、そうもいかないようだ。
意識すると途端にヒトは軟弱になるもので、膝や唇が震える。血の気が引いていく。
「(あかん、やばい)」
部長に言うて休ましてもらわな。
妙に冷静に考えながら何とか一歩を踏みだした。
踏みだそうと、した。
「財前っ!!」
後ろからなんか大声で名前を呼ばれて
なんやねんうっさいな聞こえとるわ、って返した。
…返し、た?
「返してへんわ、アホ」
突如鮮明になった視界に声に、ぱっと目が醒める。
いつの間にか横たわる自分の身体はまるで
首から下が造りものになったかのように動かない。
薬くさい部屋、糊でパキパキのシーツ、白いついたての前に揺れる
きんきらの金髪を見てようやく、置かれている状況を理解した。
「いきなりぶっ倒れんねやもん、死んだんか思たわ」
「…っ、じすか」
「おうマジや」
具合が悪くなって体がふらついたのは確か、
だけどまさか倒れたとは。情けなくて思わず黙り込む。どこの貧血の女子だ。
しかも…ここまで運んだのがよりにもよ ってこの人、なんて。
「で、こける前に謙也さんがナイスキャッチ!ちゅー訳や。感謝せえよ」
「…え」
そういえば。
倒れた、 と言われたのにどこにも怪我した痛みがない。
そういえば。
記憶を失う直前に聞こえたあの馬鹿でかい声はこの人のもので、
けれどあの時、直前まで誰も近くにいなかったはずなのに。
「な、んで」
ピピピッ
ちょうどタイミングよく電子音がすぐ近くで鳴った。
熱はかれたで、とか言いながらいつの間にやら
腋の下に挟まれた体温計を無遠慮にシャツん中へ手をつっこまれて回収される。
「7度5分…、これお前的にはどうなん?」
「………重症っす」
「やっぱりか」
他人より基礎体温が低いおれにとって 、37度の壁を超えると結構きつい。
数字を知ってしまうとよけいしんどくなった気がするから、ほんと人間って打たれ弱いな と悲しくなる。
憂鬱な気分になって視線を彷徨わせたら、
ちょうど横に座る先輩と目が合う。
「気付いとったよ」
「…え」
「おれ気ぃ付いとったよ、お前がしんどそうやったん」
何でもないように言いながら体温計をしまう先輩を、目を瞠り下から見つめる。
薄い唇の口角が吊り上がる。
「けどお前なんも言わんから、皆の前で言われたないんかな、と思て。黙って見とったら…案の定や」
結局皆にバレてもうた上、おれに担がれてきてしもたけどな、
ニヤニヤ笑う相手を見てこれみよがしにため息を吐く。
「…先輩、ほんま性格悪いわぁ…」
「あ?誰がやねん!」
軽口を叩きながら、自分の体調不良を完璧に隠していたという自信があっただけに心底驚いていた。
その証拠に、朝から放課後までおれの具合の悪さに気付いた人は他にいない。
こんなときの、この人の気の効きようは異常だ。なんで、いっつも…
「…財前。しんどいん?」
「ーーーはぁ…、まあ…」
無意識に深く息をついていたらしく、おれの態度にぶちぶち文句を言っていた先輩が急に聞いてきた。
そしてそのまま伸びてきた手が額に当てられる。
風邪やろなあ、とかぼやきながら容赦なく手の平が触れてくる。
頬、こめかみ、首筋。
皮膚が薄くなったんじゃないかと思うほどに肌が敏感になって密かに焦る。
呼吸困難になりそうで、大きく息を吸い込んだ。
先輩と先輩の連れてきた冬のにおいが、保健室の空気と混じって鼻孔を突く。
押し寄せる寒気と撫でられる感触に、目に映る先輩の心配そうな顔に、ぞくぞくした。
「…財前」
名前を呼ばれて少し我に返る。
青色がかった瞳が揺れる。そんな死に際看取るような顔するなっての、たかが7度の熱ぐらいで。
思うことが表情に出ていたのかようやく先輩が笑みを浮かべ、それから
きっと自分の弟にもしてやっているようにやさしく髪を撫でた。
「…なんか、弱ってる財前、かわええな」
「・・・・・」
ゆったり笑う年上ぶった台詞にイラついて、手を引っ剥がし指先に噛み付いてやる。
「痛あッ!お前っなんしよんねん!」
また喧しく声をあげたのを無視し、自分よりも一回りくらい太い中指をかじる。
ちらっと様子を伺うと、呆れたみたいに黙り込んで…熱もないのに顔を赤くしていた。
自分の口の中が熱いせいか先輩の指先は冷たい。
冷たいのが気持ちいくて思わずねっとり舌を絡めにいくと
さすがに「いやらしいことをすな!」といって頭を軽く張られた。
SとNが引き合うのと同じで、もしかして案外、陰と陽も引き合うんだろうか?なんて。
熱で浮かれた頭の片隅で常になくポジティブに考える。
「…やっぱお前熱あるわ。おかしいで、今日」
おれにくわえられた指を見ながら 、先輩が呟く。
ちゃらけてそうで意外とウブなこの人は、さっきのだけでかなり動揺している。
・・・なんか、今ならいけそうな気がした。
「ほな、おかしいついでに言いますけど」
「何や。てか自分礼のひとつも」
「おれ謙也さんのこと好きっすわ」
一文字一文字区切ってはっきり口にすれば、 先輩は言葉を失い目を大きく見開いた。
「………堪弁してぇな」
両手のひらで顔を覆う。冗談ではないことぐらい、妙なところだけ聡いこの人なら分かるだろう。
口に入れた中指におれの熱が飛び火すれば良い。
・・いや、もう伝染っている?
その証拠に、もう先輩は耳まで赤い。
自分とは似ても似つかぬ相手に抱いたのは憧れにも近い感情。
38度くらいに上がっていそうな熱の中で関節が軋んだ。
「…全部あんたのせいですよ」
「ーーー何でやねん!」
内なる熱情
END
私の中で「初めてのBLSS」=「保健室」という秘密の公式でもあるのでしょうか(最初にかいたザイユウも保健室ネタ)
それは冗談でたまたま浮かんだのがまたしても保健室のおはなしでした。うーん・・むしろ謙光に見えますねこれ・・どうだろ。
いろいろ言い訳はありますが、初光謙なので許してください・・!指云々の描写はなるたけぬるくした・・つもりです。
次は甘いのを書きたい。
2009/01/08