今日の部活は個人練習の日だった。
体力作りにと、とりあえず単独ランニングを行う。

一人のほうが変にペースを乱されなくてずっといいと言うと、
ダブルスを組む先輩は「つれない奴や」、と笑った。


真夏の日差しの下で走るのは軽い練習試合なんかよりずっと疲労する。
両足にたまった乳酸にそろそろ限界を感じて、自分でセーブをかける。
無茶をして身体を壊すことほど、愚かなことはない。

次は何の練習をするかと考えながらラケット片手にコートへ向かうと、
ふいに部長に呼び止められた。


「お疲れさん。光、今ちょっとあいとるか?」

「…はい、大丈夫ですけど」


他にも三年の先輩たちはたくさんいるのに、何故彼はわざわざ自分を呼ぶのだろう。
なにか目につくような失態をしてしまったかと真剣に逡巡していると、
そないなカタイ話ちゃうから、と笑われた。


「あんなぁ、ちらーっと保健室行ってきてくれへん?」

「………は?」


いきなり出された申し出に、思わず頓狂な声が出た。
周りを見回してみても、保健室につれて行かなければならないような
ケガをした部員もいなければ、勿論自分も部長もぴんぴんしている。

なぜ今その場所の名前が出るのか、全く理解できなかった。


「何でですか?」

「あー、まぁ簡単に言うたら見舞いっちゅうか、様子見てきたって欲しいんやけど…」


部長の曖昧なせりふと半笑いを見て、なんとなく、察してきた。
少なくともケガとかそういうのではなさそうだ。
辺りをまたぐるっと見渡して、なんとなく目星をつけながらも尋ねてみる。


「…いちおう聞いときますけど、誰のですか」

「うん、ユウジの」


やっぱり…。つい声に出てしまった呟きに、
部長は「あ、分かってた?さっすが天才!」なんて持ち上げてたけれどちっとも嬉しくない。


「…で保健室行きの原因は何なんすか」

「熱中症や、小春とダブルスの練習しとってな、」

「……大体分かりました」


目に浮かぶ。
あの人たちの練習風景。
そしてそこに至るまでの騒動も。
はぁ、と重い溜め息が漏れたのを聞き逃さず、部長が説明を付け足す。


「小春を見舞いに行かしたら絶対帰って来おへんし、
今から三年と準レギュで練習試合すんねん。な、頼むわ〜」


仮にも部内で1番エライ人(顧問は除く)に直接頭を下げられて
否と言えるほど強気にはなれない。

一瞬だけですよ、と嫌々返事をすれば
「さすが光、天才〜!」と言って所謂、無敵の笑顔。
ていうか部長の褒め言葉はそれしかないのか。



校舎内は日差しさえ届かないものの風がないのでやっぱり暑い。
それでも鉄板並に熱くなったコンクリに比べ、
真っ白いリノリュームの床は足の裏側に心地よい冷たさを少しだけ届けてくれる。

汗ばんだ背中を乾かそうとTシャツの裾を持ち上げてぱたぱた仰ぎながら目的地へ向かう。
こういうとき、二年生という自分の立場をなんとなく思い知るはめになる。
原因があの人ってのが酷く納得いかないが。


ひと気のない扉の前に立って、とりあえずノックを二回する。
予想通り答えはなく、引き戸をガラリと開けた。

途端に、正面の開いた窓から強い風が入り込んで、思わず目をつむる。
清潔な白いカーテンが舞う部屋の中に、保険医の姿はない。
かわりに「職員室にいます」の型紙が、机の上に重しつきで置かれていた。

ふぅ、と息をつく。この部屋は他の教室の中よりもだいぶ涼しい。
もちろん冷房のある図書室や職員室には劣るが、風通しが1番良い場所は間違いなくここだ。
壁に貼ってあるいろんなポスターやらカレンダーが風にあたってせわしなく揺れている。

しばらくぼんやり突っ立って、そういえば何をしに来たんだったか、と思い出す。
涼みに来たわけじゃなかった。

白いついたての奥にふたつベッドが並んで配置してあって、覗き込んだ左側は無人。
そして目的の人は反対の、向かって右側のベッドに居た。


「…もう、爆睡やんか…」


静かな室内に聞こえるのは中庭からのセミの鳴き声とブラバンの楽器の音、
それから…この人の寝息だけ。まさにグッスリ寝ている。
わざわざ見舞いに来て、この状況は…。
いっそワザとでいいから苦しそうにウンウンうなされてて欲しかった、なんて鬼みたいなことを考えてしまう。


「…?…なんか雰囲気ちがうな」


ジッと見てみて、それがいつものバンダナ(って言うのか?アレは)をしてないせいだといまさら気付く。
続いて彼の枕元に落ちている白いくたくたのものが気になり、
摘み上げてみてようやくそれが温まって剥がれてしまった冷却シートだったと分かった。
どうやら熱中症っていうのは本当だったらしい。
…まぁ、部長がウソをつく理由なんてのもないのだけど。

熱でパリパリになったそれをごみ箱に放り、サイドボードに置かれた新しいシートを開ける。
貼りつけるべく顔にかかっていた前髪をよけると、ふいに手首に触れた頬が想像以上に熱かったのに驚く。
平気な顔で眠っているように見えたのだが、まだ熱は下がっていないらしい。


「…コレ、このまま放っといていけるんやろうな…」


一抹の不安が過ぎるも、
そこまでこの人も打たれ弱くないハズだ、と言い聞かせる。

髪の生え際が汗でかなり湿っていて、
少し悩んだあと自分の首にかけていたタオルで拭いてやる。
思っていたより広い初お目見えの額に冷却シートをぺたりと貼って、
傍にあった丸椅子に腰をおろした。


「これじゃ、どっちが先輩やら分からへんすよ・・・」


ぼやいてみてもそれは誰にも聞こえていない。
本当ならもう用は終わったのだが、少しぐらいここで休憩していってもいいだろう。
きっと部長も怒らない。


枕元からじっと、眠っている顔を眺める。
改めて見れば頬は微かに上気して、呼吸のスピードも早い。
薄くひらいた唇は、乾燥して白く荒れていた。


「あんまり体力もないくせに、無理するからやろ…」


もし聞こえていたなら絶対に怒る言葉、
そして、自分自身にもいえる言葉。

ほぼ同じくらいの背格好の自分たちは、弱点や苦手なところまでひそかに似通っている。


「黙ってたら…あれやのに」


大人しくしているのを見ると、案外整った顔立ちをしているのだと思い知る。
普通にすればもてるだろうに、と余計なことまで考えて、
ああそういえばこの人はホモなんだった、と思い出す。
とんでもないオチがついたものである。

好き放題にはねた髪を撫でてなおしてやりながら、
今までないほど顔を近づけて観察する。

赤く火照って汗ばんだ頬だとか、そっち系の人には堪らないんだろうか。
くだらない考察をしながらくっくと笑いが込み上げる。

やらかい黒髪、細い顎、ひらいた口から少しだけのぞく八重歯。
まだほんの子供みたいな寝顔、なのに。


「なんかフェロモン出てんのかな…?」


呟いて、静かに唇を重ねる。
熱くて乾いた感触は予想通りで、下唇はそれでも柔らかかった。
覆いかぶさるように影を落とす。ふれたことのない薄い皮膚どうしの接触。
ざっと吹いたぬるい風が互いの髪を乱した。


もしも今、目を覚ましたら、この人はどういう反応をするだろう?
これもただの好奇心だけでごまかせるだろうか、さすがに通じないか。


「…けど先輩、おれもよう分からんのですよ」


目が合えば酷く驚いて、怒り出すかもしれない。
いっそすぐに目を開けて欲しいと心のどこかで願いながら、どうなってしまうのか怖くもあった。
身体がぞくん、と震える。

迷ってからもう一度、こんどは少し強めに、未だ眠る相手の唇へ噛みついた。





重ならないベクトル
END

…ハイ、財前→ユウジをめざしてみた結果こんなんでました〜的な。
ギャグなんだかシリアスなんだかよく分からない…うん、いやギャグなんだと思うよ!血迷ってしまった光のひとり言スペシャル。
ダビ忍と同じく後輩→先輩なはずなのに何か全然違うな〜やっぱユウジが本物だから…(だっま〜れ↓☆)
いろいろ捏造まみれですんまそん…ていうか結局ユウジ一言もしゃべってない!…けどもしかしたらこれ、続くかも…
H20/02/13

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