※これは思いっきり1つめのお題「重ならないベクトル」の続きです。 そちらをご覧になってからどうぞ♪
がらら、と引き戸をはしるレールの音がして、 ドアの木枠にはまる薄いガラスが遠慮がちに、それでもがしゃんと鳴った。 しんとする室内に人の気配はない。 それを重々確認してから、そろりと目を開く。 映るのは保健室の真っ白い天井。 瞼が痙攣しそうに震えた気がして、利き手でつよく擦ると反射的に涙が滲む。 濡れた目尻の感触に少しずつ頭が覚醒してくる。そして。 「…え、今…あれ?」 声が掠れて渇いた喉がいがいがする。 横になったまま、けほっと咳をして左手で口許をおさえたら、 手の平にあたる自分の唇から記憶が甦って一人でちょっとうろたえた。 もう何の痕跡も残ってない、けど。 ーだけど。 「…嘘ぉ、く…唇奪われた…?」 わざと遠回しに言ってみたのがよけいに生々しくて、 誰も見てないのにシーツに首まで埋める。 頬が、頭の中が熱い。思考回路が焼き切れてしまいそう。 事の発端は何であったか。 暑くて熱くて朦朧としているなか、 不意にすぐそばに訪れた人の気配に酷く安堵した自分がいた。 小さいころ熱を出してひとり眠っていた時に、 母親が外から帰ってきたときのような、そんな感覚。 体の状態が不安定だと心細くなるというのは本当らしい。 そっと髪を撫でてくれる手の平。 そこにいるのが誰なのか確かめたいのに、眠くて仕方なくて。 半端に覚醒した状態がとても気持ちよく、 うつらうつらとさ迷う意識を持て余していた。 そのとき。 「……先輩、」 急に聞こえた声に跳ね上がりそうになったのを、 身体じゅうの神経を総動員しておさえつける。 どうしてか「いま起きてはダメだ」と、直感的に思った。
つま先まで金縛りにあったように動かない。
声の主が誰かなんてとっくに分かっている。 それなのに。 「おれもよう分からんのですよ」 続いて聞こえてきた台詞に息を潜める。 いつもと何かトーンが違っているような、 かろうじて聞こえる囁くような小声は、何の話をしているのか理解できない。 ああもしかしたらこれは夢なのかもしれないと、そう思い始めた瞬間。
「(……!)」
上半身に感じる重さと他人の体温、 ギシリとベッドのバネが軋む音がリアルすぎた、不自然なほどに。 なによりも目を閉じていても続けざまに重ねられた唇の感触は、 とうてい想像では補えないもので。 「(……っえ、えええ?!)」
ぐるぐるとパニックになる頭のなかとは裏腹に、 体は相変わらず魔法にかかったように身動きひとつとれないまま。 そんな葛藤など通じるはずもなく、 覆いかぶさるように躊躇いなくキスを落とされる。 意外なほど柔らかな唇は暑さのせいもあるのか熔けそうに熱く、 つないだ部分から伝染しそうだった。 睫毛が触れるほど近づいた顔には息継ぎまで吸い込まれそうで。 きつく噛み付かれたり、ちゅっと濡れた音をたてられるたびに背筋が震える。 バツゲームみたいなものではなく、本当に、慈しむようなキス。 「(な、なんで…?なんで?)」 浮かぶのはただただ疑問だけだった。 今にも目を開けて問い正したかったのに何故かできなくて、 体に変な熱ばかり蓄積する。 そしてひとしきり唇をいいように弄んだ(!)後、 相手はおもむろに立ち上がり、しばらくじっと見下ろして黙って部屋から出ていった。 そうして、冒頭に至る。 「…なんで、光」 未だ混乱する思考をなんとか振り切ろうとするも、 あまりにも生々しい出来事は相当に鮮明で。 埋もれた真っ白いシーツさえ今は何だかヒワイに見えた。 額に張り付いたぬるい冷却シートを剥がして なお起き上がれないまま、ベッドに潜りこみ逡巡する。 「(せやて、なんで、アイツ…おれのことやなんか)」 はっきり言葉にされたわけではない。 だけど賢くはない自分にだって少しは分かる。 あの後輩が自分のことを心よく思ってないであろうこと。 嫌う、というとオーバーかもしれないが、
いつも小春と一緒にいる自分を見ている視線は、他の誰よりも冷ややかだったように思う。 何より「天才」なんて呼ばれている相手が、 どんな理由でもあんなことを冗談で仕掛けてくるなど、絶対に有り得ないはずだ。 「……っあぁー!」 思い出すとまたとてつもなく恥ずかしくなってきて 気合いとともに上半身をガバッと起こす。 すると長い間眠っていたせいか、頭が本気でくらりと揺れた。 「あー…」 思わずニュアンスの違うか細い声が出る。 「…何しとるんですか」 ふいに聞こえた馴染みのある、 そして今はもっとも顔を合わせたくなかった相手の声に、思わず体が竦む。 反射的に目線を寄越すと、 扉の前にはいつも通りポーカーフェイスの後輩が 500ミリのペットボトルを二本持って立っていた。
ばかのように口を開けて固まっているのを見て、 片眉だけ器用に顰めながら「もう起きてええんですか?」と言いつつ近づいてくる。
空色のTシャツがやけに眩しい。 ああ、ともウン、ともとれない曖昧な返事をしながらも、 心臓がヘンに高鳴って、相手を直視できずに視線が泳ぐ。 それもこれも向こうのした事が原因であって、自分はなにも悪くない、のに。 「(ーーなんでそないに普通やねん!)」 心中穏やかでないまま財前を睨みつけるとなんだと言わんばかりに沈黙して、 それから手にしていたスポーツドリンクをこちらに差し出した。 「…部長に言われて様子見に来てたんすけど、ついでにおれも休憩さしてもらいますわ」 淡々と告げてそれを手渡し、ベッドサイドの椅子に慣れたように腰掛ける。 あくまでもいつもと同じ態度。 このあとも自分だけが真相の分からないまま無駄にびくびくするのは御免だった。 嫌だとか気持ち悪いと思わない自分も不思議だったけれど、 何より目の前の後輩の考えのほうが分からない。 何故あんなことをしたのか。 心地よいはずの静けさがやけに気になる。 もらった差し入れで喉を潤してから、意を決して尋ねる。 「…光」 「何すか」 ちらりと様子を窺い見るも、相手の表情はかわらない。 何となく自分から切り出すのは癪だったが、曖昧なまま投げ出すのはもっと嫌だった。
「さっき、なんであんなこと、したん?」 無反応に見えた財前の目が少し、ほんの少しだけ揺らいだ気がして、 重ねて問い掛ける。
「ーキスしたやろ、お前、さっき…」 言葉にしてから、そして前にある両目が軽く瞠られたのを見てから、 どうしようもなくなって走り出したくなる衝動に駆られながら、 何とか堪えて返事を待ち身構える。
薄く開かれた口からこぼれる言葉の真意は?
「…夢でも見たんちゃいますか」
戸惑いなく、且つ 容赦なく眉間に寄せられた皺とばっさり切り捨てるような声音に、 思わず漫画みたいに俯せでバスンと突っ伏した。 訪れる沈黙。 浮上したまさかの夢オチ説に、愕然とする。
もしあのリアルすぎる感触が自分ひとりの妄想(?)だったとするなら、 酷く、ものすごく、いたたまれない。 「え・・・え?っと、そうなん・・・?」 「何すか先輩、欲求不満ですか」
「・・・・・・!」
追い討ちをかける淡々とした台詞にそろっと顔をあげる。
とてつもなく無表情。正直言って本気で逃げたかった。 「ええー、嘘やん…!なんでぇ、」 百歩譲ってそんな夢を見たのだとしても、 どうして自分は相手に、この後輩を選んだのか。
激しい混乱をよそに財前は落ち着き払った態度で尋ねてきた。
「ねぇもし、ホンマにおれがそんなことしても、先輩は怒らへんのですか?」 「…はっ??」
「どない思うんですか」
予想外の問い掛けに固まるも、相手はじっと答えを待つ体勢だ。
しばらく逡巡して、やっと浮かんだ考えをつたえる。
「そらぁ…何かの間違いや、と思うわ。たぶん」 ちなみに自分の妄想疑惑も何かの大きな間違いであったと信じて欲しい。 半ば必死の思いで付け足すと、「…そっか」とぽつりと呟いた。 そうしてしばらく黙って俯いていたかと思うと、 今度は肩を揺らして笑い出した。 「なっ…なんやねん」 「いや、…先輩」 「あ?」
顔をあげてぶつかった相手の目の光はひどく悪戯じみていて、思わず息を飲む。
いままで見たことのないような表情で、財前は笑っている。
「ちょっとは人の言うこと疑うた方がええですよ」 急に窓から吹き込んできた風が髪を揺らす。
えっ、と応える前に、正面から唇を塞がれた。
目をまるく見開く。すぐ近くに相手のとじた瞼。 いまに触れそうな睫毛。唇の温度。押し寄せる凄まじいデジャビュ。
離された口許にはまだ柔らかい笑み。
「…何の間違いかは、明日までの宿題っちゅうことで」
立ち上がりざまに呆然としている頭を子どもにするようにぽんと撫でると、 迷いなく扉のほうへと歩いて行く。 そういや、と言い立ち止まってから、 今日はもう帰ってええらしいすよお大事に。 振り返りもせず言い残して薄い扉ががしゃんと締まる。
ああまた、この音もデジャビュ。
夢??
ーーー否。
「ーーーよけい熱でるわ、財前のアホ…!!」
誰もいない保健室で一人叫ぶけれど 呑気な蝉の声しか返らなかった。
火照る頭に浮かんだその感情に、名前をつけるならば。
不意に浮かんだ
END
1つめのお題の続き・・のつもり。しかもこの話はこれで終わり!なんてgdgd…!すみません…
結局何がやりたかったんだかって感じですがあの、お互いに無自覚のアレの芽生え、みたいのをやりたくて(何やねん)
結果できたのはかわいそうなぐらいアホなユウジ、平気で年上をからかえる財前でした(いい意味で)
あらためて何ですがほんとにユウジがアホの子ですいません。書いてる人は楽しかったです。
H20/02/28
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