「今からどっか行かん?」


昼飯を食べ終えてぼーっとしていると、
いきなり横からそう言われた。

黙って何か考えてるのかと思ってたら、
出てきたのはこんなセリフ。


「……は?」


目を瞠り、座っていてもやっぱり大きい相手を
下からまじまじと見上げる。
すると千歳は緩く笑って、同じことを繰り返した。


「だから、どっか行かんね?一緒に」

「…いや、ちゃうて。分かっとる…や、分からんけど」


頭をおさえてウーンと唸るおれと、
なんだかにこにこ嬉しそうな千歳。


「せっかくこげん良か天気やのに、部屋ん中こもっとるのはもったいなか」


いかにも放浪大好き人間の単純極まりない思考を覗かせている。
確かに、屋上に注ぐ春の日差しは穏やかで、
旅に出たくなる気持ちも分かる…けど。


「せやけどまだ5、6時間目あるやんか」

「ユウジの組、授業なに?」


振られた話題に時間割を頭の中でめくる。
今日は月曜日だから…


「えーとー…英語、と地理」

「受けたい?」

「……受けたない」


まるで誘導尋問みたいな流れにはっとしたが遅かった。
千歳は普段のスローペースが嘘のようにサクッと立ち上がり、
おれの腕を簡単に引っ張りあげる。


「ほな決まりやね!」


いつにない強引さにぽかんとしていると、
千歳は太陽を背中にしょってにっこり破顔した。


それがあまりに屈託なかったもんだから、
おれはついつい「まぁいいか」…なんて思ってしまったのだ。




急いで教室に戻り、荷物をまとめる。
誰にも、小春にもないしょだ。
今日は部活もないし、白石に叱られる心配もない。

しばらく階段の下に潜んで5時間目開始の本鈴を待ってから、
下足場のほうへ向かう。廊下にはもう誰もいない。


先生に見つからないよう小走りで行くと、
下駄箱の奥から千歳がひょこっと顔を出した。


「お、ホントに来たね」

「…おう、来たったわ」


普通は学校サボることに多少の罪悪感ってのを抱くもんだ、
誰もかれも自分と一緒にするなっての。

からかうような声に少しむっとしながら、
スニーカーに乱暴に足を突っ込んだ。


「…嬉しかよ。ありがとう」


頭の上から降ってきたセリフに
迂闊にもちょっと、キュンとした。



無人の正門を悠々と通過して、
千歳が進む方向へとついて行きながら、黙って後ろを振り返ってみる。

今みんな、校舎の中で授業を受けている。
クラスの、おれの席は空。もちろん千歳の席だって。
おれたちは今、外のこんなところを歩いているから。

…考えるとすごい、ヘンな気がした。
自主的に集団からはずれるってこういうものか、と。

不思議と後悔はしていなかったけど、
こいつはそんなにのももう慣れてるんだろうな、ふと思った。



「……ちょう、どこまで行くつもりなん?」


大阪駅に着いてなお、さらに
券売機で切符を買おうとしている相手を思わず呼び止める。

振り向いた千歳は恐らく不審げな顔になってるおれを見て、
宥めるように笑みを浮かべた。


「まぁ気にせんと。今日はおれの奢りやけん」


付き合うてもろとるからね、とか聞いてもないことをゆったり喋って、
おれはゴシックで値段だけ印刷された切符を渡される。


「今日じゅうに帰れんねやろな…」


ぽつりと漏らした不安は聞こえなかったのか、
千歳の長身は自動改札機をくぐろうとしてるとこだった。



「さすがにこの時間やと空いとるねぇ」


がたがた揺れる普通電車はほんとに切ないぐらい人がまばらで、
ひとつの車両に10人くらいしか乗っていない。

しかも、ホームに止まっていた電車に飛び乗ったせいで、
行き着く先がどこなのか、おれは知らないままだ。


隣どうしに並んで座っているものの千歳はほとんど喋らないから、
おれは流れていく街の景色をじっと見ていた。

しばらくするとどうしても、瞼が重くなってくる。
春の陽気に昼休み明けのこの時間の最強タッグ。
寝るなっていうのが無茶なぐらい、眠い。

そもそもまず5時間目にまるまる起きてられる方が珍しいのに…
電車の揺れも相俟って、この状況はかなり辛い。


勝手に閉じてきそうになる目を必死に堪えて
時々首を振ったりしていると、ずっと黙っていた千歳がおれの耳に小声で囁いた。


「…ユウジ、眠か?」

「ーーんー…」


いつもなら絶対そんなことないって突っぱねるとこなのに、
今はそんな余裕もない。
縦にひとつ頷くと隣でふふ、と笑う気配。


「着いたら起こしたるばってん、寝ててよかよ」


柔らかく言ってから背中側から回された腕にぐっと抱き寄せられ、
抗う術もなく横から千歳の肩に頭を預ける姿勢になる。


「んー、そうする…」


普段なら外でこんなこと恥ずかしくて絶対しないけど、
前の席にも誰もいないし今は甘えてみることにする。

具合がいいように身じろぎしてから目を閉じると、
左胸から心臓が打つ規則正しい音がする。
ひどく安心する温度と鼓動。


視界が遮断される。
いったいどこを旅してるんだっけとヘンな気分になりながら、
そのまま意識を手放した。



どれぐらい時間が経ったのか、
千歳に起こされて降りた駅は見たこともない地名の場所だった。
しかも古びたホームにはおれたちだけ、改札も駅も無人という寂れっぷり。

きょろきょろ周りを見回して、
うーんと呑気に伸びをしている相手にここはどこかと尋ねる。


「ん?兵庫県たい」

「ー…はぁっ?!」


…って、県跨いどるやんけ!!
のんびり構えて笑顔の千歳にツッコもうとしたものの
びっくりして声も出なかった。

隣の兵庫といえどもこの景色は、かなり街中から遠ざかっているのに違いない。
はぁーとため息をついて
あの時寝るんじゃなかった、といまさら後悔してももう遅い。

ちょっぴり暗くなったおれに気付いたのか否か、
千歳は前に立ちこっちに向かって手を差し出した。


「さー、行こ」


どこにやねん…と思いながらもここまで来たら一緒だと割り切って、
目の前に伸ばされた左手をギュッと握る。

すると、千歳が驚いた顔をしてパッと後ろを向いた


「なに?」

「ーや、こげん素直なユウジ珍しか、と思て」

「…せやって、道わからんし」


帰れんくなったら困るし、拗ねた声音で言うと
ああ、と納得したように笑われる。

別にそれだけっていうワケでもないけど…言ってやらない。



ひと気のない、舗装もされていない田舎の道を二人で歩いていく。
冬よりも日が長くなった今の季節は、
もうすぐ夕方といえる時間になるだろうにまだ明るい。

なのでもうとっくに手は離している。
繋いだ手のひらを解くとき、千歳が悲しげな顔をしたのは見ないふりをした。


制服の襟元に、大阪の街中では感じることのない
草と土のにおいのする風を浴びて目を細くすると、前を行くでかい背中が急に止まった。


「っ、なん?」

「ユウジ、左みて」


静かな口調に嬉しさが滲み出ている声を聞いて、
少し小高い土手の縁に駆け寄り上から覗き見る。するとそこは。


「っすご!真っ黄色や!」


思わず叫んだそこは見渡すかぎり一面、
黄色のタンポポの花で埋め尽くされていた。


一体どれくらいの花があるのか、ざっとですら数えきれないほど。
それほど草花に興味はないけれど、この光景を見れば否応にもテンションが上がる。


…もしかして千歳ははじめっから今日ここで、
このタンポポ畑を見せようとしてたのか?


はっと思いうしろを振り返ると、
目があった先に立つ千歳はにこっと笑った。


「下に降りてみんとね?花ば踏まんように」


屈託ない笑顔に、おれは尋ねるタイミングを完全になくしてしまった。
頷いてから傾いた芝の上を早足でかけ降りて、勢いのまま走って行く。

だいぶ後から追いかけてきた千歳に
途中であっという間に抜かれたのがムカついて、軽く脇腹に肘うちをかましてやった。



どうにか二人ぶん座れるスペースを見つけて先にしゃがみ込む。
すると、横に来た千歳は迷いもなく草の上にどかっと腰をおろした。
驚いて顔をあげるおれと、平然としている相手。


「…制服汚れんで」

「あぁー、よかよか」

「…」


いやよくないだろ、と黙っていると、
古座をかいて座る千歳がおれを見ながらぽんぽん、と自分の膝を叩く。

何かと思い眉を顰めて瞬きをすると、相手はまたにこりと笑った。


「ここ。」

「…?」

「座ってよかよ」

「…な!」


絶句するおれをよそに、
ほらと促す千歳からは本気の気配。
あまりにも子供あつかいされすぎているのにムカッときた。

ここで刃向かうのも悔しかったから、
立ち上がってほんとに膝の上に後ろ向きで座ってやった。


「えっ」


途端、後ろ頭であがった声のほうを振り返り、じっとり睨む。


「ーなん?」

「……いや、ほんまにやると思わんかったけん」

「…お前がせえ言うたやん」


目を点にした千歳の表情を見てから冷静に考えれば、
まわりに誰もいないとはいえ、この体勢はかなり恥ずかしい。

急いで起き上がろうと体を前にそらすと、
急に腹に腕を回され立つのを阻止するように引っ張られた。


「!うわっ」

「やめたら嫌たい〜」

「な…なんでやねん!」


すっぽり千歳の腕の中におさまり抱きしめられ、
トドメには頭に顎まで乗せられ身動きがとれなくなる。

じたばたあがいてみたもののおれらの体格差じゃ、あまりにも無意味だった。
しかも抵抗するとさらに力を篭められるもんだから、いよいよ諦めて脱力する。


笑いで揺れる胸の振動に、見上げるフリでまた睨むも、
まったく悪いとは思ってない目をしている。

それどころか、目があったまま後ろからぎゅっと抱きしめられた。


「ユウジの髪はよか匂いがするばい」

「…あー、そう」


愛想なく答えながら微妙に照れ臭い。
千歳とこんなに密着するのは初めてだ、そういえば。

なのに落ち着かない、ということはなく、むしろ。


「(悔しいけど……居心地、ええな)」


そう思って体を全部相手に預けると、千歳はおれの耳元に唇を寄せた。


「…なんか、世界にふたりきりみたい」


しばらくじっと黙って、それから聞こえたないしょ話のような声に、
ためらわず小さく、小さく頷いた。


見渡しても誰もいない場所は、
手に入れた秘密基地のようで。


けどおれたちはわかっている。
しょせんは子どもの冒険だから、夕暮れまでの世界なんだ と。


「(もう、終わりやねんで)」


浮かんだ言葉をおれは口に出さない。
リアルになるのがまだ、寂しいから。

風が黄色の花をゆらゆら揺らした。






All or Nothing

END
どうして私の書くちとゆうはこうも微妙に薄暗くなってしまうんでしょうか。・・・わかりません。
べつに2人で逃避行を目指してるわけじゃないんだけど、なんていうかこう・・
何の不満も変化もない日々をちょっと脱線してみたかった、というような話、のはず。多分(ザ・曖昧)
これもカプっていうかうーんなカンジですね。ごめんね煮え切らなくて。ベクトル的にはチト←ユウかも・・・。

20/5/27