エレベーターの扉が開き、5階で降りる。

少し古いが作りのしっかりしたマンションは案外大きく、中も広い。
場所が曖昧なため部屋番号を口の中で復唱しつつ、間違わないよう注意を払う。


扉の前に立ち、インターホンを押そうとしてー…
ふいに、ポケットに手を差し入れた。

ちゃり、とカギが鳴る音。

自分の家とバイト先のロッカーともうひとつ。
真新しい、小さなカギがついている。
それを使えば目の前の扉を開けることができる…が、ひどく躊躇する。

しばらく悩んだ末に、思い切ってボタンを押した。
一瞬間があり、スピーカーの向こうから音が聞こえる。


『はいー…あれ?』


不思議そうな声音に、インターホンのカメラから
自分の姿を確認したのだと悟る。

黙って突っ立っていると、がちゃりと扉があき、
頭をやや屈めて部屋の主が現れた。

少し驚いたようにぱちぱち瞬きをされて、
居心地の悪さを感じながらも気付かないフリをする。


「いらっしゃい。・・ユウジ、カギは?」


せっかく渡したのに、と
不思議そうに尋ねられ、危うく怯みかける。


カギを持つくせに使わない自分を訝しがるのは当たり前だ。
まさか「使うのが恥ずかしかった」と素直にも言えず、
「忘れてきた」と小さなウソをついた。

千歳はそれ以上言及するでもなく、笑って中に入るよう促した。



おかしな「お付き合い」の約束をしたのがもう二週間も前のことである。


うっかりにしても程があるような再会を果たして以降、
ちょくちょく携帯で連絡を取り合って大学構内でも何度か会った。

昔とまったく同じように接してくる千歳に対してありがたく思う反面、
あの日のことを回想しては一人、いたたまれなくもなった。

何かおかしい、と思いながらも
数年ぶりの同級生との再会は、懐かしくもあって。


そして今日、あれから初めてここに・・千歳の家に来たことになる。



前回は入った覚えのない玄関、歩いた記憶のない廊下...
つくづく酒の力は恐ろしいと思う。
ちなみにあれから禁酒しているのは当然のことである。


「ここまではどうやって来たん?」

「…単車」

「へえ、免許とったんね」

「車はまだやけどな」

「そっか」


他愛ない会話をしながら室内へ入り、自分を残して千歳はキッチンに去る。
後ろ姿を見届けてから、立ち尽くして室内を見回す。

一人暮らしのわりに無駄に広い家である。
たまたま安く入れた、とは本人談ではあるが、これだけ広さがあれば
ゆうに三人は暮らせるだろう。ぼんやりと目線を巡らせる。


「…ッ!」


ふと敷居のむこうに寝室を見つけ、心臓が跳ねあがった。
まさに再会の夜、大変な過ちを侵してしまった場所である。
一気にいやな汗が出てきたのを、頭をブンブン振ってやり過ごそうとする。


相変わらずその日のことは思い出せずじまいだが、
よりによって同性の同級生と一夜を共にしてしまった…というのは、あまりにも衝撃が大きすぎた。

なるべく思い出さないようにしていたけれど、
さすがにいざその場に来てしまうと、断片的な記憶が甦ってしまう。


「ユウジ?」

「っ!!」


突然後ろから名を呼ばれてビクッとなる。
振り返ると、頭上に疑問符を浮かべた千歳がいた。


「どしたの?」

「…っな、んもあらへん」

「ーふぅん」


何も追求せず、相手は引き下がる。それは今日に限ったことではなかった。

大学構内で幾度か会ったときにもそうだが、
あまりにも普通に接されすぎて、逆にこちらが戸惑うほどで。


あの夜以降、
付き合う云々というような話題すら持ち出されていない。

本当に”久しぶりに再会した友達”と一緒にいるような感じなのである。

もしかしてアレは全部冗談で、
相手の中ではもう”なかったこと”になっているのかと思えるほど。


「そや、ユウジ。ケーキ食わん?」

「…へ。ケーキ?」


いきなり飛び出た単語に、
そして千歳が冷蔵庫から出したケーキ屋の箱があまりに小さく見えるのに驚く。

おいで、と手招きされてキッチンに近寄れば、覗き込んだ箱の中に可愛い色のケーキが3つ。
しばらくじっと眺めてから、再び千歳を見上げる。


「…どないしたん、これ?」

「うん、なんか同じ講義うけよる子がくれたんよ」


話によるとその子はケーキ屋でバイトをしていて、
今日試作のケーキをもらって欲しい、と頼まれたらしい。
聞かずとも、その相手は女の子だ。


「(ー…でも、これ)」


箱に並ぶケーキはどれも試作品には見えないほど完成されて見える。
どう考えてもこれは、プレゼントだろう。

改めて千歳の方を見ても、黙ってにこにこしているだけだった。
…可哀相だが残念すぎるほど鈍感な相手には遠回しなアプローチは無意味だったようだ。
思わず、顔も知らないその子の替わりに溜息をつく。


「おれあんまり甘いのは好かんきに、手伝うてくれるとありがたかよ」

「…はーん」


まぁもらえる言うならもらうけど、そう返すと助かるばい、と笑う。
そういうときに無下に受け取りを断ったり
捨てたりなどはできないところがこの男たるゆえんである。


「ーていうか、やっぱりモテるんやんけ…」


なんでやねん。なんでおれやねん。
ぽつりと呟いた本音はどうやら本人には届かなかったらしい。


どう考えても、自分はからかわれただけなのだろう。

相手がよりすぐりできるほどいるのに、
無理矢理自分を選ぶ必要なんてどこにもないのだ。


これで万事解決してよかったはず、思いつつも
なにか釈然とせずに黙ってむっと目を細めた。

千歳は後ろでのんびりと珈琲をいれている。



リビングのソファに座るなり、
見るからに甘そうなケーキを左手に掴んだ。

隣からの視線には気付かないふりをして、そのままバクッと噛り付く。
ちらっと見ると、千歳は目を丸くして固まっていた。


「ーあっまぁ。砂糖入れすぎちゃうん」

「…ご、豪快やね」

「うん。引いた?」


ニヤついて、様子を窺う。

どんなやり方でもいい、いっそのこと相手に嫌われてしまえば、
ひといきにこの訳のわからない繋がりも消せるかもしれない。

一緒にいたくもないほどイヤな男を演じれば、
さすがの千歳も約束を取り消したくなるだろう。

つまりは友達を一人なくすことになるのが少し、寂しかったが。


「珈琲ばり苦いし、飲まれへんわ。」


一口啜って眉を顰め、わざと大声で言ってコップを押しやる。
自分がやられたら100パー切れるわ、
心の奥底で思いながらケーキの残りを口にほうり込む。

本当はケーキも美味しいし、
珈琲もーーー実際に苦いが飲めないほどではない。

もぐもぐしながらツンと隣を向けば、
千歳は困ったような何か分からないような表情を浮かべている。


怒るかな、子どもみたいだと呆れるかな?
次のアクションを予想しながら、自然と鼓動が早くなる。


ぎしっとばねが軋み、千歳が体勢をかえた。太腿にあたる相手の温度が近くなる。

すっかり身体の影に隠れるくらい近寄られると、
なおさら大きさの違いを実感して今更ながら怯んでしまう。


「(やばい… 怒らした…?!)」


あの夜の原因を忘れていた。
事の発端は酔っ払った自分が招いた過失であり、
あくまで謙虚すぎるほどの姿勢をとるべきだったのだ。

たとえ付き合おうと言われたのが冗談としても、
万が一…ないとは思うが身体だけが目的であったとしても、
こちらに拒否権はなかったのだ。


「(けど、コイツと離れるには、こうするしかー…!)」


焦るうちに肩を掴まれて身体が跳ね、目を背ける暇もなくぎゅっとつむった。


「…っ!!!!」


しかし怒鳴り声は聞こえてこなかった、かわりに唇に押し当てられる柔らかい感触。

なにかと考える必要もない、弾かれるように瞼を開くと、
あの日以来の至近距離に相手の顔がある。

改めて、唇へ重なる唇に頭が真っ白になった。
固まる身体に半身のしかかって口の端をぺろりと舐めあげられ、
ビクンと肩が揺れる。


「……、っな!」


呆然としつつようやく声を出す。
すると目の前で千歳は悪びれた様子もなく、フワッと笑顔を浮かべた。


「クリームついとったけん」

「……はっ?!」

「いや口に」


聞き間違いかと思った、が、そうではないらしい。
確かにちょっと甘かね、などと言いながらもう一度ふれるだけのキスをされる。
一息に、引いていた血の気が今度は頭に向かって逆流していく。


「…なっ、な…!なななに」

「あと珈琲な、いつまでたってん上手くいれられんのよ」


ごめんね、と悲しげに謝られてもそういう問題ではないのである。

ただちにツッコミたいのに怒りやら戸惑いから
真っ赤になってオロオロするばかりで、うまく言葉が出ない。

残る感触を紛らわそうと、
黙ったままぐいぐい手の甲で口を拭う。


「あ、照れちょるの、かわいか〜」

「…う、ううううっさいわ阿呆!何さらしてくれとんねんワレ!」

「やって付き合おって言うたんやけん。キスしてもええやろ?」

「…………………お前、こないだのあれ…マジなん?」

「え、うん。マジたい」

「………」


ようやく正気を取り戻して下から詰め寄ると、千歳はきょとんと目を丸くした。

無駄に誇らしげな態度と至極真面目な返答にふっと意識がとびかけてうなだれる。
謀らずも千歳の肩に凭れかかってしまう。

もはや抵抗する気力もなかった。


「ユウジ。大丈夫?」

「…何でやねん、何で俺なん。そないに前の……エッチが良かったん?」

「ああ、そ」

「ーいい。やっぱ聞きたない。…おれ覚えてへんし」


話を振っておいて制止すると、心なしか残念そうに見えたがスルーしておく。
無言で顔を見上げれば、目が合いにこりと微笑まれる。


「いや、ほんまに、ユウジんこつ好きよ」

「…で、でも学校じゃそんなん、全然・・」

「うん、人前で言ったら嫌がるかなと思て」

「ーそらぁ…そやけど」


一応 千歳なりに考えあってのことだったようだ。
が、昔と同じような態度をとられたら、冗談だったと勘違いしても仕方ないだろう。


「けど今みたいに、二人きりなら良かろ?」

「っ、ちょ!!」


急に上から眼前に迫られ、驚きでまた目を閉じてしまう。
ちゅ、と軽く唇に触れる暖かい感覚に、やり場のない拳をギュウと握りしめた。

固くなった手を見て千歳が苦笑した気配に気付き、慌てて瞼を開く。

隣同士座った無理な姿勢なのに、
長い腕は器用に自分の肩を抱き寄せてみせる。


「…ユウジも俺んこと、好きになったらいいのに」

「ーーえ」

「片思いは、やっぱり辛か」


囁くように告げ、冗談めかして柔らかく笑う千歳になにも言えず、視線をさ迷わせる。


どうして。

どうしてそんなに、
自分なんかに執着するのか分からなかった。
傷ついた顔をして追い縋るほど、自分に魅力などないだろうに。


「ほんまに…わからんわ、お前」


手を伸ばし、恐る恐る頬を撫でる。
思えば自ら相手に触れたのはこれが初めてだった。

千歳は黙ったまま目を瞠って、随分大人びた顔の上にあの頃と同じ笑顔を浮かべる。


悪いのは自分だと分かっているのに、まだ事実だと受け止めるのが怖い。
臆病な思いが、結果的に相手までもを苦しめている。

ポケットに潜んだ合鍵が、ずしりと重みを増した気がした。


「・・ふ。でも、期待しててもよかとね?」

「・・・何が」

「さっきユウジおれがケーキもらったことに、ちょっとイラついとったやろ?」

「え」

「だけん、嫉妬してくれたんかなァ、と思ったんやけど」

「なっ・・・・ちゃうわ!!」


急に指摘された事実に慌てて首を横に振る。
殊勝な態度に出ていたかと思えばいきなりポジティブ発言が飛び出てきた。

必死に否定する様子を、にっこりと微笑みながら見ているのに気付く。
まさか、もしかしたらーーー


「お前・・!最初っからおれをハメるつもりで・・?!」

「ーー嵌めるって言い方が悪か。でも、ユウジ」

「ーーーッッ」


いきなり強く抱きすくめられて、息を飲む。
首筋に一瞬触れた鼻先は意外なほど冷たかった。


「ユウジに嫌いって言われん限り、おれは諦めんよ」


耳元に聞こえた声が微かに震えていたのは、気のせいだったのだろうか。



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やっちゃったパラレル大学生設定チトユウよもやよもやの第2弾っていうか続き。です。
いろいろと詰め込みたい要素が多すぎて、これでも入れる予定だったセリフとか大分削りましたが・・十分長い!
しかし私の中の千歳像がなんかおかしな方向に歪んできている気がする・・ユウジもたいがいですけど、
千歳は本当によく分からない子です。大人なの?子供なの?いつもいろいろ考えてるの?実はなんも考えてないの?
つぎは千歳視点でできればいいな・・ってまだ続ける気ですよこの人・・

20/09/08